C12形蒸気機関車について
昭和時代の初めの頃に登場したローカル線用の小型タンク機関車です。昭和7年から22年までに293両が製造されました。デゴイチのような大型の機関車とは反対にこのような小型の機関車が何故この時期に作られたのでしょう。
この時代、日本各地に”簡易線”と呼ばれる鉄道線路が引かれました。当時の国鉄は線路を敷くに当たり3段階の規格に分けていました。上から「甲」、「乙」、「丙」とされ、「甲」線になるほど重量(軸重)の重い機関車が走れる様に作られました。規格の低い「丙」線では重量の重い大型機関車だとレールがその重みに耐えられないため走れないことになります。ですがその頃の日本では「丙」線よりも更に規格の低い線路を各地で敷くようになりました。これを「簡易線」と決めたのはいいのですが、大正時代以降にこの簡易線を走れるような重量の軽い機関車は明治時代の旧式の機関車以外ありませんでした。
そこで新たに設計して作られたのがこのC12形式蒸気機関車です。先に作られたC11形式と似通った外観ですが軽量化を図るため、より小型化されています。またC11には取り付いていた除煙板(デフレクター:煙突付近の両脇に立てられている鉄板)も省略されました(同じC12形式でも後にデフレクターを装備した車両もあります)。C12形式は戦後も全国のローカル線で活躍しました。SL終焉期の昭和40年代、関東近郊の真岡線や足尾線(現、わたらせ渓谷鉄道)でも走り続けていました。
C1266は、昭和8年(1933年)に日立製作所笠戸工場で製造され、鹿児島、小牛田、宮古、釜石、弘前、上諏訪、長野の各地で活躍していました。昭和47年(1972年)現役引退、そして福島県伊達郡川俣町に静態保存されました。
栃木県真岡市をはじめとする真岡線沿線市町は、真岡線沿線地域のイメージアップ、地域の活性化、観光の振興、真岡線への誘客促進を図る目的で、JR真岡線を引きついだ第三セクター真岡鐵道でのSLの復活運行を目指していました。その白羽の矢がたったC1266は芳賀広域圏民の共有財産として川俣町より譲りうけ、JR東日本と芳賀地区広域行政事務組合が有償譲渡契約を締結しました。大宮工場で復元修復作業を受け、平成6年(1994年)に真岡鐵道にて復活をとげることになりました。C1266は川俣町に保存以降、屋外での野ざらしに近い状態での展示であったことから動態復元にあたっては使用できない部品が相当数に上ったそうです。これらの代替部品の調達については、埼玉県大宮市内(現さいたま市大宮区)に保存されていた同形式の機関車から良品部品取りし、代わりにC1266についていた部品をそれに付けたということです。部品取りに当たっては当時の真岡市長が直接、大宮市長に掛け合って了解を得たということです。
C1266履歴
昭和8(1933)年12月、日立製作所笠戸工場製造
S8.12、鹿児島区
S13.1、小牛田区
S13.2、宮古区
S14.9、釜石区
S14.11、弘前区
S19.10、上諏訪区
S47(1972).3.22、上諏訪区から保存のため会津若松区へ移動
S47.3.31時点 第1種休車
S47.5.13-14
会津若松から岩代川俣へ保存のため有火回送(松川までEL牽引、川俣線内自走)
S47.5.14 廃車
S47〜H3.9、福島県川俣町静態保存
H3(1991).9.7 JR東日本と芳賀地区広域行政事務組合でC1266の有償譲渡契約締結。
H3(1991).9.13-14 川俣町から真岡駅へ陸送留置
H4(1992).12.18 真岡駅からJR大宮工場へ陸送
H5(1993).2.16 復元工事着工
H5.10.14 足入れ式
H5.11.17 火入れ式
H6(1994).2.6〜7 JR大宮工場から真岡鐵道へ回送
H6.2.16〜試運転
H6.3.27〜営業運転
C1266車両諸元■車軸配置:1C1■重量:50.5トン(運転整備)■最大長:11.35メートル■動輪直径:1.4メートル■使用蒸気圧14.0Kgf/cm2■最大動輪周馬力:505Ps■最大運動速度:毎時75km■
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